学生の頃、どう生きようか、何を創りだせるのか、、、技術先行の教育だった。何でもつくれる、芸術作品のようなものも、、、しかし感性も独創性も感じられない。

そんなことを考えている、初夏の陽光のまぶしい校庭の大樹の陰、ベンチに座り、ボーっと芽吹いた若葉をすかして青い空を見ていた。美しかった。とても人間技では再現できない、透明な緑が重なりみずみずしい光の、奥深い諧調が見えた。

かなわない、自然は自然に任せよう。そして自分は、人間が人間のために生み出した素材と技術で、極めて人工的な形を考えてみよう、、、

作る、造る、創る。それは何かをつくろうという意思や考え、そして技術、それに素材があってはじめて形になっていく。

この三つの中で客観的に揺るがないもの、それは技術と素材。

思いや考えは、皮肉なことに個人的な価値観でもっとも曖昧である。この曖昧さをつくるという行為から除外して、技術と素材のみでなにかを創る、生み出すことはできないだろうかと考え、試みることにした。

創る過程においても曖昧さを避けるために技術は単純に単一。素材ももっともシンプルな矩形の板一枚。

加熱した一枚の板に、エアハンマーで強い一撃を与えた。板の厚みは変化し、ひびが入り、砕け散った。平面の板が、わずかだが厚みの変化で立体化し、砕け散った部分は、破壊の瞬間の緊張感と崩壊の美を生んだように感じられた。

こうして破壊シリーズをはじめた。この時点で叩く、曲げる、捻る、削る、穴をあける、溶かす、腐食する、接合する、引っ張る等々それは '71の”メタショック”から '82の”BRASS RIPPING”まで、当初考えたプログラムを現実のものにする制作だった。

この”破壊シリーズ”は、平面作品として '84より”メタルドローイング”として現在も継続している。







2003-2005 © Mochizuki Digital Works. All rights reserved.